地図上で銀行を示す記号「⛻」。
子どもの頃、社会科の授業で習ったような気もしますよね。
でも、なぜこのような形になったのか、日本に存在するすべての地図に使われているのか、外国でも「⛻」は「銀行」のマークなのかまで、知っている人は少ないのではないでしょうか?
この記事では、これらの謎を解き明かします。
また、銀行の地図記号「⛻」はすでに廃止されているとの噂もありますが、この記号はスマートフォンの地図アプリ(グーグルマップ)でも現役で活躍中です。
この記事を読むことで、銀行の地図記号「⛻」がどのような意味を持ち、どのように使われているのかを知ることができ、知的好奇心がおおいに満たされますよ。
お金を預ける、下ろす、振り込むときにしか、ほとんど意識しないあなたの街の銀行が、もっと身近なものに感じられるかもしれません。
銀行の地図記号「⛻」の基礎知識
地図を見ていると、実にさまざまな記号(地図記号)が描かれていますよね。
その中で銀行は「⛻」という地図記号になります。
では、なぜこのような記号が必要なのでしょうか。その答えは、地図上で多くの情報を簡潔に、そして視覚的に表現するためです。
グーグルマップのような地図アプリでも、この記号によって銀行の位置を瞬時に知ることができます。
銀行の地図記号「⛻」は世界共通?
銀行の地図記号「⛻」の由来は、江戸時代の両替商までさかのぼります。したがって世界共通ではありません。
日本の地図記号は、国土地理院がデザインしたものと一般公募のものになります。
後述しますが、地図記号は時代に合わせて廃止されたり新しく作られたりしています。
最近では、外国人観光客にも理解しやすい地図記号ができていますね。
銀行の地図記号「⛻」の由来や意味
この記号の由来は、江戸時代の両替商の看板から来ています。その看板の形は、両替商が使用していた分銅(ふんどう)に由来しています。
両替商といっても、空港や観光地にあるような現代の外貨両替サービスのことではなく、現在の銀行に相当するようなサービスのことです。
江戸時代の両替商と分銅
現在の銀行は、お金の重さを測ることはありませんが、江戸時代の両替商は、金(大判・小判など)、銀(丁銀・豆板など←サイズによって呼び名が変わる)、銅(=銭)の重さを測って、1~2%の手数料をとって両替していたため、分銅が必需品でした。
江戸時代は三貨制度だったため、金銀銅、3種類の貨幣が存在していました。
そのため、分銅が両替商のシンボルとなり、看板も分銅の形をしていました。
ちなみに、金貨鋳造所を「金座」とよび、現在の日本銀行の場所にありました。
明治時代の貨幣制度改革
明治4(1871)年5月に「新貨条例」が制定され、貨幣制度の全国的統一と金本位制が実現し、日本の貨幣制度が大きく変わりました。
純金二分(1,500ミリグラム)を円の定量とし、円の100分の1を銭、銭の10分の1を厘とする十進法による貨幣単位も定められました。(引用元:全国銀行協会)
新貨条例で、分銅はほとんど不要になってしまいました。
けれども、このような歴史的背景から、現在でも銀行の地図記号として、分銅の形が使用されています。
ちなみに、日本初の銀行は、明治6(1873)年7月20日に創設された「第一国立銀行(現:みずほ銀行)」です。
創設者は日本資本主義の父と称される渋沢栄一氏で、2024年7月から1万円札の顔になって登場します。
銀行の地図記号「⛻」はGoogleマップでも現役で活躍中
たとえばグーグルマップで、「三井住友銀行 新宿駅」や「三菱UFJ銀行 新宿駅」と検索すると、赤い「⛻」マークとともに、新宿駅近くの「三井住友銀」や「三菱UFJ銀行」が表示されます。
「⛻」のマークは、ピンの形で支店が存在する場所を明確に指してくれるので、文字だけよりもはるかに場所をつかみやすいですよね。指で拡大すると重なり合っている部分が見えます。
検索窓に支店名を正式に入れた場合は、赤い「⛻」ではなく、赤い「●」が表示される場合もあります。その場合は、近隣の銀行が、青い「⛻」で表示されます。
Googleマップは、日本で従来から使われている地図記号をそのまま利用している施設(銀行のほかには警察署や郵便局等)もありますが、世界共通のマークを作ってる施設もあります。
【国土地理院】銀行の地図記号が2万5000分の1の地形図からは姿を消した!(廃止の)理由は?
「銀行の地図記号はすでに廃止になっている」いう情報が記載されているのを見かけますが、廃止されたのは2万5000分の1の地図で、1万分の1の地図には残っています。
「⛻」が2万5000分の1の地図から消えたのは、昭和30年のことです。
廃止の理由は、銀行の統廃合が激しいことや、スマホの普及で紙の地図があまり使われなくなったからという意見が散見されますが、廃止されたのは昭和30(1955)年で、1万分の1の地図には残っていることから、その理由ではなさそうですよね。
1968年に三井銀行と東都銀行(→三井銀行)、1971年に日本勧業銀と第一銀行(→第一勧業銀行)、1973年に神戸銀行と太陽銀行(→太陽神戸銀行)、1990年に三井銀行と太陽神戸銀行(→太陽神戸三井銀行)が合併していますが、1955年当時はそれほど統廃合があったとは思えません。
1992年に太陽神戸三井銀行がさくら銀行になったり、2001年に住友銀行に合併され三井住友銀行になったり、りそな銀行や三菱UFJ銀行も統廃合を繰り返して現在の名前に落ち着いていますが、とくにバブル崩壊後に目まぐるしく名前変わっていますね。
トマト銀行、あおぞら銀行、もみじ銀行、さくら銀行など、親しみやすく可愛らしいネーミングの銀行が多数登場したのもこの頃でした。
国土地理院では、廃止の理由は公表されていないので、絶対とはいえないのですが、廃止されたのは2万5000分の1の地図で1万分の1の地図には残っていることから、駅前に銀行が増え過ぎて、小さなスペースに書ききれなくなったのかもしれません。
ちなみに、(太陽のような歯車のような)工場の地図記号も、2万5000分の1の地図で廃止され、2万分の1の地図では残っています。
牧場、塩田、電報・電話局の地図記号が廃止になったのは時代の流れでしょう。
外国人に意味がわかりやすいように作られた新しい地図記号もある
東京オリンピックを控えた2016年に、外国人に向けた地図記号が制定されました。
銀行も随分わかりやすいですよね。
神社の記号「卍」が、ナチスの鍵十字を連想させるということで、議論が巻き起こったこともありました。
参考:現在使われている地図記号の由来(国土地理院)
交番や消防署、税務署などは、凡例を見なければ想像もつきませんね。
銀行の地図記号「⛻」にまつわるQ&A
Q1: 銀行の地図記号「⛻」は何を意味していますか?
A1:銀行の地図記号「⛻」は、地図上で銀行や金融機関の位置を示すための記号です。この記号は現在、1万分の1の市街地図、さらにはGoogleマップなどの地図アプリでも使用されています。
Q2: 銀行の地図記号「⛻」の由来は何ですか?
A3: この記号の由来は、江戸時代の両替商(現代の銀行に相当)の使っていた分銅と分銅をモチーフにした看板に基づいています。
Q3: 地図記号が変更されることはありますか?
A5: 地図記号は基本的には長期間にわたって使用されることが多いですが、社会状況の変化によって変更されます。
銀行の地図記号「⛻」は分銅の形!意味を知ることはますます楽しい!
この記事で学んだ銀行の地図記号「⛻」についての知識は、あなたの知的好奇心を満たします。
この記号の由来は、江戸時代の両替商の活動に起源を持ち、現代でも一部の地図やアプリで使用されています。
この記号を理解するとともに、両替商や銀行の歴史的背景を学べば、日本の金融システムに対する理解も深まります。
この記事を通じて、銀行の地図記号「⛻」についての全貌が明らかになったことでしょう。
これからは、この記号を見かけた際には、その意味や用途、歴史を思い出してくださいね。