知識・雑学 広告含む

「おいどん」の意味とは?一人称?二人称?鹿児島愛にあふれたこの言葉を徹底検証!

おいどんの意味

「おいどん」という言葉は、鹿児島弁で「私」や「俺」「僕」に相当する一人称代名詞として全国的に知られています。

とくに鹿児島が生んだ英雄・西郷隆盛がテレビドラマなどで「おいどん」と自称していることから、多くの人々に認知されていますよね。

そういえば、2018年のNHK大河ドラマは、西郷隆盛を主役にした「西郷どん(せごどん)」でしたね。

Ruby
Ruby
あれ?おかしくない?鹿児島で「どん」ってどういう意味?
向日葵さん
向日葵さん
「西郷どん」は「西郷殿(様・さん)」という意味ではないの?

仮に「どん」が「殿」なら、西郷隆盛の有名なセリフ「おいどんは、西郷隆盛でごわす」っておかしな日本語になりませんか。

また、「おい」が鹿児島だけでなく、長崎や佐賀などでも一人称として使われていることさらには「おいどん」とは、一人称の「私」ではなく「貴方」という二人称ではないかという説まで存在しているので、複雑怪奇ですよね。

このような疑問や説を解明するため、今回の記事では「おいどん」という言葉について、様々な角度から検証していきたいと思います。どうぞお楽しみに。

おいどんの意味は?

「おい」は、九州の一部では現在でも一人称として使われている

Wikipediaによると、長崎出身の福山雅治さんは、地元では自分のことを「おい」と呼んでいるそうで、「おい」という一人称は現役で活躍している言葉のようです。

西郷さんの「おいどん」の意味はあらたまった一人称

コトバンクで調べると「おいどん」には以下のような意味があるとされていました。

おい‐どん
〘代名〙 自称。みども。おれ。わがはい。特に薩摩武士の一人称の人代名詞として知られた。
※雑俳・柳多留‐一七(1782)「目をさましやしたおいどん申やす」(コトバンク)

Ruby
Ruby
やはり、「一人称」であるとされていますね。

「みども」は、おいどん以上に聞き慣れない言葉ですが、漢字にすれば「身共」と書くようです

み‐ども【身共】
〘代名〙 (自称代名詞の「み(身)」に接尾語「ども」が付いたもの。「ども」が付いても単数として使われる) 自称。目下に対する尊大な言い方「身(み)」に比べ、同輩または目下の者に対してあらたまった感じで用いる。本来男子の用語であるが、女子も用いた。(コトバンク)

「身共」も一人称で、同輩または目下の者に対して「あらたまった感じ」で用いるとあるので、ビジネスシーンでしばしば使われる「わたくしども(私共)」の「共」と同じ使い方のようですね。

Ruby
Ruby
ただし、現代でもよく使う「わたくしども」は、目上の方やお客さまに対して、自分をへりくだって使う言葉です。

西郷隆盛さんが、実際に「おいどんは西郷隆盛でごわす」と言ったかどうかはわかりませんが、この文脈では「おいどん」を一人称として使っているのは間違いないでしょう。

桃子さん
桃子さん
「俺様は西郷隆盛でございます」「俺たちは西郷隆盛でございます」当然、どちらも不自然!

おいどんは二人称なのでは?という説があるのはなぜ?

「おいどん」のどんを「殿」の意味だと解釈すれば、おいどんは二人称(貴方)という意味になりますね。

Wikipediaの「おい、おいどん」のページには、以下のような記述がありました。

九州、特に南九州地方の男性が使う。「おれ」「おり」の変型。「おいどん」は年配の男性(戦前生まれの中では女性も)が使う。松本零士の作品『男おいどん』で知名度が上がった。長崎市出身の福山雅治も地元では「おい」を使う。

全国的には「きみ」「お前」の意味の二人称でも使われる。「おい!こら!」は喧嘩などの威嚇で使われるが、明治初期に薩摩出身の警官が多かったことから普及した。(引用元:Wikipedia)

「おいどん」が、鹿児島の方言で「あなた」を指す言葉だという事例は見つかりませんでしたが、「(関西弁における)自分」や「(子どもに対しての)ぼく」などと同様、「おいどん」を二人称として使っている人がいてもおかしくはないですね。

「せごどん」のどんは「殿」の意味

一方、せごどんのどんは「西郷さん」という意味で、親しみや尊敬を込めた呼び方となります。

「うさぎどん」や「きつねどん」のような使い方もありますがが、これも動物へ親しみを込めたユーモラスな使い方だといえます。

そして、なぜ「さいごうどん」ではなく、「せごどん」なのかは、鹿児島・薩摩では「ai」を「e」と読み換えて発音することもあるからだそうです。

もともと「おいどん」は一人称の複数形だった可能性が高い

エッセイ「西郷隆盛はおいどんと言っていたのか?」では、「おいどん」は一人称の複数形であると紹介されています。

単数 複数
おい(自分) おいどん(われわれ)
わい(君) わいどん(君たち)
あい(彼) あいどん(彼ら)

このエッセイだけではなく、鹿児島の方言を紹介している複数のサイトで、「おい」は「俺」を、「おいどん」は「俺たち」を意味する一人称の複数形として紹介されていました。

また、薩摩地方における丁寧な単数の1人称代名詞としては「あたい」もあり、実際に、鹿児島出身のタレント、坂上二郎さんがテレビで使っていたそうです。

上記エッセイの筆者は、大久保寛氏著『さつま語辞典』に「おいどん」の「どん」は、「複数を意味する場合と、婉曲表現がある」と書いてあったと紹介しています。

Ruby
Ruby
この婉曲表現というのが、「身ども」や「私ども」の「ども」なのかもしれません。

だとすると「おいどんは西郷隆盛でごわす」は、「わたくしどもは、西郷隆盛でございます」という意味になり、非常に自然でなんだかスッキリしますね。

さらに、方言ジャパンというサイトでは、熊本県では「おっどん」が「わたしたち、おれたち」の意味であると記載されています。

一方で、同じ九州地方でも博多弁では「おいちゃん」は「おじちゃん」で、「おいさん」は「おじさん」という意味になり、鹿児島における「おい」とは、ニュアンスが大きく異なります。

薩摩武士から現代人へ

鹿児島イメージ

「おいどん」という言葉は、薩摩(現在の鹿児島県)の武士文化に深く根ざしています。

特に、薩摩藩の英雄である西郷隆盛がこの言葉を使っていたとされており、その影響は大きいですよね。

西郷隆盛は、多くのドラマや映画で「おいどんは西郷でごわす」と言って登場することが多く、このようなメディアを通じて「おいどん」という言葉が全国的にも知られるようになりました。

この言葉は、今では主に年配の男性が使用するもので、女性が使うことはほとんどありません。

また、武士やその家族、さらには薩摩藩に仕える者たちが使っていたとされています。

しかし、現代の鹿児島ではこの「おいどん」が日常的に使われるわけではありません。

現代では「おい」が「俺」、そして「わい」が「お前」といった形で使われています。

Ruby
Ruby
ただ、「おいどん」は「俺たち」という意味で使われることもあり、文脈や状況で意味が変わってきます。

このように、「おいどん」は時代や文化、地域によってその使い方や意味が変わってきており、多面的な言葉と言えるでしょう。

それだけに、この言葉には鹿児島の歴史や文化が凝縮されているとも言えます。

おいどんの現在は?鹿児島での使用状況

「おいどん」という言葉は、かつては鹿児島(薩摩)地方でよく使われていましたが、現在ではその使用頻度は減少しています。

特に若い世代では、標準語が主流となっており、「おいどん」はあまり耳にすることが少なくなっています。

しかし、まったく使われなくなったわけではありません。

鹿児島にまつわるお祭りや行事、イベントなど、特定の文脈で「おいどん」が使われる機会はたくさんあります。

また、地元愛をアピールするときや、鹿児島の文化を尊重する場合に、あえてこの言葉を使う人もいます。

そのような場合、この言葉は鹿児島のアイデンティティを感じさせ、地域のつながりを強くする役割を果たしています。

また、観光地や歴史的な場所であえて「おいどん」が使われることもあります。

これは、観光客に対して鹿児島の歴史や文化を伝える一環として、または地元民同士のコミュニケーションを深めるために使われます。
現代の鹿児島では、「おいどん」は頻繁には使われていないものの、その存在感はしっかりと残っています。

特に高齢者や地域の文化を重んじる人々の間では、今でもこの言葉が生き続けているのです。

「おいどん」の使い方は?例文とフレーズ

「おいどん」という言葉は、鹿児島弁で「私」または「俺たち」という意味で使われます。

この言葉は、イベント時などで鹿児島愛を表現するために使われることが多いです。

以下に、その使い方の例文とフレーズをいくつか紹介します。

  1. 自己紹介: 「おいどんは鹿児島出身でごわす」地元愛のアピールに。
    • 標準語での訳:「私は鹿児島出身です」
  2. 仲間との会話: 「おいどんらで飲みに行こうや」
    • 標準語での訳:「俺たちで飲みに行こうよ」
  3. 地元愛: 「おいどんは鹿児島が大好きでごわす」
    • 標準語での訳:「私は鹿児島が大好きです」
  4. 感謝の意を表す: 「おいどん、助かったでごわす」
    • 標準語での訳:「私、助かりました」
  5. 行動を告げる: 「そやおいどんがすっで」
    • 標準語での訳:「それは俺たちがやっておくから」

このように、「おいどん」は多くの場面で使えますが、「一人称単数形」なのか「一人称複数形」なのか、その使い方は文脈や状況によって変わることがあります。

地元愛とおいどん!鹿児島のアイデンティティ

「おいどん」は、鹿児島弁で「私」または「俺たち」という意味で使われる言葉です。

この言葉は、鹿児島の地元文化やアイデンティティに深く根ざしています。

特に、歴史的に薩摩藩(現在の鹿児島県)で活躍した薩摩武士、例えば西郷隆盛などが使っていたとされ、地元の人々にとっては誇り高い言葉とも言えます。

現代では、この「おいどん」は頻繁に使われているわけではありませんが、地元愛を感じさせる場面や特別な瞬間に使われることがあります。

また、この言葉を使うことで、鹿児島出身であることを強調したり、地域に対する愛情や誇りを表現することが多いです。

地元の人々は、この「おいどん」という言葉を通じて、鹿児島の歴史や文化、そして地域社会に対する深い愛情を感じています。

「おいどん」は、単なる方言を超えて、鹿児島の人々が持つ地元愛やアイデンティティを象徴する言葉となっています。

このような地域独自の言葉があることで、鹿児島の文化や歴史がより一層豊かに感じられ、地元の人々とのつながりも深まるでしょう。

「おいどん」が一人称の人物のキャラクターを想像してみよう!

  • 地域性:鹿児島出身または鹿児島に強いつながりを持つ人物。
  • 年齢層:中高年以上が多いかもしれませんが、若者が地元愛を表現するために使うことも。
  • 性格:親しみやすく、地元に誇りを持っている。
  • 職業:地元での地域活動や文化の保存に関わる人物、または歴史や伝統に興味を持つ人。
  • その他:歴史や文化に敬意を持ち、地元の方言を大切にしたいと考えている。

このようなキャラクターは、地元文化や方言に愛着を持っており、それを大切にしたいと考えている可能性が高いでしょう。

西郷隆盛とは?日本の歴史に名を刻む人物

西郷隆盛(さいごうたかもり、1828年1月23日 – 1877年9月24日)は、日本の武士であり、薩摩藩(現在の鹿児島県)出身です。彼は、幕末から明治維新にかけての日本の歴史において、非常に重要な役割を果たしました。

幕末期の活躍

西郷隆盛は、幕末においては尊王攘夷(そんのうじょうい)の思想に基づき、薩摩藩を中心に反幕府活動を展開。その後、長州藩と連携し、戊辰戦争(ぼっしんせんそう)で新政府軍を指揮して幕府を倒しました。

明治維新後の功績

明治維新後は、新政府の要職に就き、近代日本の基盤作りに貢献。陸軍大将や内務卿(ないむきょう、内務大臣の前身)などを歴任しました。

西南戦争と最期

しかし、新政府の方針に次第に反発を感じ、最終的には西南戦争(せいなんせんそう)を引き起こします。この戦争は新政府軍によって鎮圧され、西郷隆盛は自決しました。

しかし、その死後も彼の思想や業績は多くの人々に影響を与え、今日でも多くの人々に尊敬されています。

西郷隆盛は、日本の歴史において非常に影響力のある人物であり、その生涯は多くのドラマや映画、書籍で取り上げられています。

特に、彼が使っていたとされる「おいどん」などの言葉は、鹿児島のアイデンティティともなっています。

おいどんの意味にまつわるQ&A

鹿児島イメージ

Q1: 「おいどん」って何の意味ですか?

A1:「おいどん」は鹿児島弁で、一人称の「私」または「俺」を意味します。しかし、「俺たち」を意味する場合もあります。この言葉は、特に薩摩武士が使っていたとされ、鹿児島の文化やアイデンティティに密接に関わっています。

Q2: 「おいどん」は男性だけが使う言葉ですか?

A2:基本的に現在「おいどん」は年配の男性が使う言葉とされています。女性が使うことは一般的ではありません。この言葉は、薩摩武士に特有の言葉ともされており、その影響が色濃く残っています。

Q3: 「おいどん」は今でも鹿児島でよく使われていますか?

A3:現代の鹿児島では、「おいどん」は日常的に頻繁に使われるわけではありません。しかし、イベントや特別な場面で使われることが多々あります。また、地元愛を表現する際にあえて使うこともあります。この言葉は、鹿児島の文化やアイデンティティを象徴するものとして、今でも大切にされています。

「おいどん」の多面的な意味を持つユニークな言葉

「おいどん」は一人称なのか二人称、複数形なのか単数形なのか疑問に思っている人が多いようで、この記事では多角的に考察してみました。

「おいどん」という言葉は、これらすべての意味で使われている可能性がある稀な言葉でした。

言葉は生き物ですからね。

鹿児島弁で一人称(ときには複数形)を表すこの言葉は、地域文化やアイデンティティにも大きく影響しています。

特に年配の男性が使うことが多く、現代ではあまり日常的には耳にしないものの、地元愛を表現する特別な瞬間には今でも活躍しています。

この言葉一つで鹿児島の多面的な魅力や歴史が感じられることでしょう。