「日本三大ブス」という言葉を一度は耳にしたことがあるでしょう。しかし、この言葉にはどのような意味があり、なぜそう言われているのか、実は多くの人が疑問に思っています。
一方で、「日本三大美人」という言葉も存在しますが、その背後にはどのようなストーリーがあるのでしょうか。
この記事を読むことで、『日本三大ブス』と『日本三大美人』の由来、さらにはそれぞれがそう言われる理由まで、詳しく解説します。
特に、「日本三大ブス」で検索するあなたが抱える疑問を払拭します。
この情報を活用することで、この言葉の真の意味が理解でき、より健全なコミュニケーションが可能になるというメリットがあります。
ぜひ、この記事を最後までお読みいただき、『日本三大ブス』と『日本三大美人』についての真実を知り、その知識を日常生活に役立ててください。
『日本三大ブス』の県とは?
「日本三大ブス」という言葉を、一部の掲示板やSNSでたまに見かけますよね。けれども実生活でこの話題が出ることはほとんどありません。
特定の地域が「ブスの産地」とされることで、その地域の女性に対する偏見が形成される可能性があります。注意が必要ですよね。
この記事を書くにあたり、たくさんのブログに目を通しましたが、その多くには「根拠が薄い」「都市伝説だ」「実際にはそう感じない」と書かれていました。
「日本三大ブス」の初出は、1980年代に発売された一部週刊誌の特集記事です。もちろん、根拠のない娯楽記事でした。
ブスとブサイクの違いは?
また「ブス」の類語に「ブサイク」という言葉もありますが、両者は少しだけニュアンスが違います。
「ブス」は主に女性の顔に使われるのに対して、「ブサイク」は男女問わず使われることがあり、また顔だけでなく、外見全般に使われます。
『日本三大ブス・仙台ブス(宮城県)』の真相
「仙台ブス(宮城県)」の由来
「仙台ブス」という言葉は、宮城県仙台出身の女性に対して使われる言葉です。
一説によれば、この言葉の由来には伊達政宗(だてまさむね/1567~1636)や伊達綱宗(だてつなむね/1640~1711)が関係しているとされています。
政宗は、政治手腕と軍事力に優れ、厳格な一方で温厚な性格とされ、多くの家臣や民から愛されました。
その治世は、仙台藩の基礎を築くものとなり、後の藩政に大きな影響を与えました。
綱宗は、江戸時代前期の大名で、伊達政宗の次男・忠宗の六男のです。仙台藩の第三代藩主となります。
初代仙台藩主・伊達政宗が美女を江戸に連れて行った
伊達家の戦装束(いくさしょうぞく)は非常に豪華なもので、3,000人もの軍勢力だったと伝わっています。
沿道の人々からも歓声が上がるほどで、現在でも派手な装いを好む人を「伊達者(だてもの)」と呼びます。
派手好きの政宗が、参勤交代の際に、仙台中の目立つ美男美女を江戸に連れて行ったという説があります。
三代目仙台藩主・伊達綱宗が花魁の高尾太夫を殺害したため、太夫たたられている
吉原遊郭の筆頭とされる花魁(おいらん)二代目高尾太夫に入れ込んでいた仙台藩三代目藩主・綱宗は、「身請け」を断られたため、太夫を殺害してしまいます。
仙台に美人が生まれなくなった理由は、綱宗に殺害された太夫の「たたり」だとされています。
作家坂口安吾が「仙台には美人がいない」と断言
作家の坂口安吾(1906~1955)も『美人の消えた街』というエッセイで、「仙台に美人がいないのは高尾のたたりである」と書いています。
1951年に取材で仙台を訪れたときも、新聞社の記者に「仙台の町は今後きれいに発展するだろうが、美人がいないのが残念」と語ったそうです。
仙台(宮城県)の女性の魅力
もちろん、仙台の女性は魅力的という意見もあります。
- 仙台は「杜の都」とも呼ばれ、その美しい自然環境が影響してか、おおらかで優雅な女性が多いとされています。
- 仙台は牛タンやずんだ餅など、美味しい食べ物が多い地域。そのため、美食家な女性が多いとされています。
- 歴史的に伊達家の影響を受けており、その格式高い文化が女性たちの立ち居振る舞いや気品に反映されてるとされています。
『日本三大ブス・名古屋ブス』(愛知県)の真相
「名古屋ブス(愛知県)」の由来
「名古屋ブス」という言葉は、特に愛知県の名古屋出身の女性に対して使われます。一説によれば、この由来は戦国時代にまで遡るとされています。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が水戸や尾張(名古屋)から美人を連行
戦国時代、織田信長(1537~1582)が安土城に、豊臣秀吉(1537~1598)が大阪城に、そして江戸時代に入り、徳川家康(1543~1616)が江戸城に、尾張の美人を根こそぎ連れて行ったとされています。
また徳川御三家だった水戸藩と尾張藩(名古屋あたり)では、中央の殿さまのために地元の美人をみんな江戸に送ったとされています。
明治から昭和戦前期まで名古屋は美人の産地
「美人論」で有名な風俗史研究家の井上章一さんによると、明治から昭和戦前期までは、名古屋は美人の産地とされていたそうです。
ざんねんながら、名古屋が美人の産地としてとりざたされることは、今日ほとんどない。だが、明治大正期の名古屋は、その点に関するかぎり、圧倒的な名声をほこっていた。往事の新聞雑誌も、しばしば名古屋美人を、声高に論じている。評判の高さでは、秋田や新潟などをはるかに凌駕(りょうが)していたのである。
のみならず、東京新橋の花街は、名古屋の出だという芸妓を、おおぜいおいていた。うちには名古屋の美妓が何人いると、置屋はたがいにはりあってもいたのである。新橋につどう芸妓の間では、尾張言葉が一種の共通語にさえなっていた。(中略)
新橋は尾張徳川侯の時代に芸所(げいどころ)とされた名古屋へ、芸妓の供給を依存する。維新で花柳界がさびれ、芸妓のあまった名古屋から、女たちをひきぬいた。
こうして名古屋は、東京新橋へ芸妓をおくりこむ、その後背地めいた地域になっていく。名古屋が明治期から、美人の産地としてもてはやされたのは、そのためである。(引用元:井上章一の大阪まみれ・花街・新橋を席巻した名古屋美人)
名古屋(愛知県)の女性の魅力
- 名古屋の女性は「名古屋帯(簡単に結べるように改良された帯)」など、実用性を重視する文化があり、その影響でしっかりとした性格が多いとされています。
- 名古屋はファッションや美容に敏感な人が多く、名古屋の女性たちはおしゃれだとされています。平成の前半も名古屋嬢の間で、華やかなヘアースタイルである名古屋巻きが流行りましたよね。
- 味わい深い「名古屋弁」が、彼女たちをより魅力的にしています。
『日本三大ブス・水戸ブス』(茨城県)の真相
「水戸ブス(茨城県)」の由来
「水戸ブス」という言葉は、茨城県水戸出身の女性に対して使われることがあります。一説によれば、この言葉の由来は佐竹義宣(さたけよしふみ)が関係しているとされています。
関ヶ原の戦い後、佐竹義宣が美人を秋田に連れて行った
関ヶ原の戦い(1600年)の際、東軍にも西軍にもつかず、日和見的な態度をとっていた佐竹義宣(さたけ よしのぶ/1570~1633)は、徳川家康の怒りを買い、旧領地・常陸国(水戸)から、出羽国秋田郡に転封(この場合は左遷)を命じられます。
義宣はその腹いせに、水戸にいた美人を大勢秋田に連れて行きました。
その後、水戸には徳川家康の十一男の徳川頼房(1603~1661)が水戸藩初代藩主として着任しました。
この徳川頼房の三男が時代劇でおなじみの水戸光圀公(1628~1701)です。
水戸(茨城県)の女性の魅力
- 水戸は自然環境が豊かで、その影響を受けた女性たちは純朴。無理をせず、自分らしさを大切にしてるとされています。
- 水戸学(地元の哲学や教育)に代表されるように、歴史や文化に対する理解が深い女性が多いとされています。
- 地元の特産品や文化に誇りを持っている人が多いとされています。
『日本三大ブス』を話題にする場合の注意点とリスク
注意点とその理由
「日本三大ブス」を話題にするには注意点があります。
- 偏見の助長: このような言葉が広まることで、特定の地域や集団に対する偏見が助長される可能性があります。
- 差別の促進: 地域差別や女性差別が助長される恐れがあります。
- 情報の信憑性: この言葉の由来や背景には確固たる証拠がありません。
以上のような理由から、この言葉を使う際には十分な注意が必要です。
リスクとその対処法
「日本三大ブス」という言葉を使うことには以下のようなリスクが伴います。
- 信用の失墜: この言葉を安易に使ったことで、他人からの評価が下がる可能性があります。
対処法
どの説も史実絡みでとても面白いですが、あまり3つの地方に不美人が増えたという根拠にはなりませんよね。
「こんな面白い都市伝説がある。さすがに無理があるよね~」と笑い話にとどめるのが一番です。
特に3つの地方出身者が、他府県出身者との会話の話題にするのは楽しいかもしれません。
『日本三大美人』は、秋田(秋田県)、京都(京都府)、博多(福岡県)!その由来は?
「日本三大美人」として知られている県は、一般的に秋田、京都、博多(福岡県)とされています。
ほかにも、新潟、津軽(秋田県)、庄内(山形県)、金沢(石川県)、熊本が美人の産地として有名ですね。
「秋田美人」「新潟美人」「京美人」「博多美人」「金沢美人」「津軽美人」「庄内美人」はいずれも日本海側の県であり、美人の産地には、日照時間が短い地域が多いとされています。寒い地域や北国、雪国が比較的多いですよね。
秋田美人の由来
秋田県出身の女性が特に美しいとされる理由としては、秋田県が日本海に面しているため、新鮮な魚や海藻が豊富なことだと考えられます。
これらの食材は美肌を保つ要素とされています。また、秋田県は気温の低い日が多く、それが肌を引き締める効果があるとも言われています。
また、秋田県をはじめとする日本海側の県は、日照時間が短くなる特徴があります。そのためあまり紫外線を浴びることがありません。
さらに冬場は雪も多いため、外に出ない日も多くなりますよね。その結果として、秋田県の女性は色白になるといわれています。
京美人の由来
京都府出身の女性が美しいとされる背景には、京都の歴史と文化が大きく影響していると考えられます。
京都は古都であり、多くの美術品や文化が育まれています。その中で、女性の美的感覚も磨かれたとされています。特に、茶道や華道、舞妓といった日本文化が女性の美を高める要素とされています。
博多美人の由来
福岡県出身の女性が美しいとされる理由は、福岡県の温暖な気候と豊富な食材にあるとされています。
福岡は海に近く、新鮮な魚や野菜が豊富にあります。これが美肌を保つ要因とされています。また、福岡県は温泉地も多く、それが美肌作りに貢献しているともいわれています。
博多といえば、博多人形が有名です。白くてきれいな肌をしているので、そのイメージも強そうです。
以上のように、『日本三大美人』とされる各地域には、その美しさを形作る独自の理由と条件が存在しています。
これらの要素を理解することで、なぜこれらの地域が『日本三大美人』と称されるのかがより明確になります。
Q&A:『日本三大ブス』と『日本三大美人』について
Q1:なぜ3つの県が『日本三大ブス』と言われているのか?
『日本三大ブス』という言葉は、特定の地域(名古屋、水戸、仙台)に対して使われることが多いです。この言葉が広まった理由は歴史的な背景や特定の人物が関係しているとされています。しかし、どれも説得力に欠け、確固たる証拠は存在していません。
Q2:『日本三大ブス』とは差別ではないのか?
『日本三大ブス』という言葉は、特定の地域や集団に対する偏見や差別を助長する可能性があります。そのため、この言葉を使う際には注意が必要です。「根拠のない都市伝説」としてエンタメ感覚で話しましょう。
Q3:なぜ3つの県が『日本三大美人』と言われているのか?
『日本三大美人』とは、特定の地域(秋田、京都、福岡)出身の女性が美しいとされる言葉です。各地域には、美しさを形作る独自の理由と条件が存在しています。例えば、秋田は新鮮な食材が豊富で、京都は文化的な背景があり、福岡は温暖な気候と豊富な食材があります。
ただし、これはあくまで一般的なイメージであり、もちろん科学的な根拠はありません。美しさとは主観的なものです。
まとめ
この記事では、「日本三大ブス」という言葉の由来やその背後にある理由、これを話題にする注意点について詳しく解説しました。
この言葉が持つ意味は多角的で、歴史や文化、地域性に根ざしています。しかし、その一方で説得力が弱く、納得のできる根拠は一つもありません。
最後に、このようなレッテルにとらわれず、多様性を尊重する視点を持つことが重要です。
知識として「日本三大ブス」について知ることは面白いかもしれませんが、その言葉の持つ力を正しく理解し、適切に扱うことが大切です。