「蛍の光」は日本人にとってたいへん馴染み深い曲ですが、その歌詞の意味や歴史的背景についてまでは、よく知らない人も多いのではないでしょうか?
明治時代の言葉で書かれているのでとても難しいです。
とくに、蛍の光と同じメロディーラインの「別れのワルツ」の存在や、戦後まったく歌われなくなった3番と4番の歌詞を知る人はあまりいないようです。
文部省が歌詞を何度も変更した理由や、歌詞に隠された二重の意味「掛詞(かけことば)」についても詳しく解説します。
この記事を読むことで、ただ「蛍の光」を歌うだけでなく、その歌詞とメロディに込められた深い意味や歴史を感じながら歌えるようになるでしょう。
ぜひ、この機会に「蛍の光」の新たな一面を知り、その魅力を再発見してください。
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「蛍の光」って?原曲はスコットランド民謡?基礎知識とその魅力
スコットランドの民謡から日本の唱歌へ
「蛍の光」の原曲は、スコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン(Auld lang syne)」です。日本ではこの曲名を「久しき昔」と訳しています。
「昔からの友とお酒を飲んで楽しむ」という内容で、蛍の光同様、友情をテーマにしているものの、別れの要素は感じられません。
「オールド・ラング・サイン」の作詞者は、スコットランドの国民的詩人、ロバート・バーンズ(1759~1796)ですが、作曲者は不明です。いつ頃から存在するメロディーなのかも定かではありません。
実は「オールド・ラング・サイン」を原曲とする日本の楽曲は、「蛍の光」のほかにもう一つ存在し、それが「別れのワルツ」という楽器曲(インストゥルメンタル)になります。
オールド・ラング・サイン | 蛍の光 | 別れのワルツ | |
---|---|---|---|
原産国 | スコットランド | → 日本 | → 日本 |
制作年 | 1788年 | 1881年 | 1950年 |
ジャンル | 民謡・準国家 | 唱歌 | ワルツ |
作詞・作曲者 | ロバート・バーンズ(作詞のみ) | 稲垣 千穎(作詞) | 古関 裕而(編曲) |
歌詞のテーマ | 友情、乾杯 | 友情、別れ、旅立ち | ー |
使用される場面 | 新年、誕生日、披露宴 | 年末、卒業式 | 年末、閉店時間 |
拍子 | 4拍子 | 4拍子 | 3拍子 |
関連する特定の日 | 新年 | 大晦日 | 大晦日 |
4拍子の「蛍の光(歌詞なしバージョン)」と3拍子の「別れのワルツ」を聞き分けるのは、素人には結構難しいです。
「別れのワルツ」より70年も先に誕生していた「蛍の光」
「別れのワルツ」は、昭和の著名な作曲家、古関裕而(こせきゆうじ)氏が編曲した3拍子の器楽曲(インストゥルメンタル)です。
1949年に日本で公開されたハリウッド映画「哀愁」のなかに、4拍子の「オールド・ラング・サイン」を3拍子のワルツにアレンジした曲が流れ、主人公のロイとマイラがダンスを踊るシーンがあります。
その曲が流れるのは「キャンドルライト・クラブ」という名のレストランの閉店前でした。
映画封切後の1950年に、楽譜になっていなかったこの曲を採譜し、編曲したのが古関裕而氏です。
一方、「蛍の光」は遡ること明治時代(1881年)、「小学唱歌集初編」に登場した唱歌で、国学者の稲垣千穎(ちかい)氏が、スコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」のメロディーに、(明治当時の)日本の唱歌としてふさわしい歌詞をつけたものでした。
【あのお店の閉店の音楽はどっち?】YouTubeで「蛍の光」と「別れのワルツ」を聴き比べる
https://youtube.com/watch?v=DQCPH6Knaz8&si=zhZOh5L0ERLnlU_k
4拍子の「蛍の光」と3拍子「別れのワルツ」。
あくまでも個人的な感想ですが、たとえば書店の閉店時間にこの曲が流れてきた場合、「蛍の光」はお店から早く出て行きたくなり、「別れのワルツ」は1日の終わりをしみじみと感じてしまいそうです。
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「蛍の光」の歌詞の深い意味
次はいよいよ、蛍の光の歌詞の深い意味です。
歌詞「蛍の光、窓の雪」は中国の故事「蛍雪の功」が由来
これは比較的広く知られていますが、「蛍の光、窓の雪」という歌詞の一節は、中国の「蛍雪の功(けいせつのこう)」という故事にちなんでいます。
「蛍雪の功」とは、古代中国の晋の車胤(しゃいん)が貧しさから灯火を持てないため蛍の光で、また、孫康(そんこう)は窓辺の雪の反射で読書をしたという故事です。
この故事は、貧しく困難な状況でも学び続ける姿勢を讃えています。
蛍の光は中国でも歌わているが、歌詞の意味は日本とは違う
中国でも「オールド・ラング・サイン」は「友誼天長地久」や「地久天長」「友誼萬歳」などいくつかのバージョンで歌われているそうです。
ただし、日本の「蛍の光」とは違い、歌詞はいずれも、原詩をほぼ忠実に訳したものだそうです。
戦後、3番と4番が歌われなくなった「蛍の光」 戦争との関係は?【全文掲載】
https://youtu.be/nVEaI53YaVQ?si=UkVt-jI9CmxSZUpu
明治時代に唱歌として作られた「蛍の光」は、日本の領地の変化で3番と4番が歌われなくなりました。
これは、歌が時代の変化や社会状況に影響を受ける一例と言えます。
【全文】蛍の光(明治初期版)と現代語訳(超意訳)
蛍の光
1.蛍の光 窓の雪 書(ふみ)よむ月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を あけてぞ 今朝は 別れゆく
2.止まるもゆくも 限りとて 互(かたみ)に思う 千万(ちよろず)の 心の端(はし)を 一言に 幸(さき)くとばかり 歌(うた)うなり
3.筑紫(つくし)のきわみ 陸の奥(みちのおく) 海山遠く 隔(へだ)つともその真心は 隔てなく 一つに尽くせ 国のため
4.千島の奥も 沖縄も 八洲(やしま)の内の 護(まも)りなり 至らん国に 勲(いさお)しく 努めよ我が兄(せ) つつがなく
現代語訳(超意訳)
1.蛍の儚い光や窓辺に積もる雪の輝きで 夜更けまで勉学に励んできた いつしか月日が流れ 夜が明け 今日という日の朝がきた 杉の扉を開けると 友との別れが待っている
2.故郷に残る友 新たな場所へと旅立つ友 ついに今日が最後の日 それぞれの心には 互いへの何千、何万という思いが宿る その思いを一言で歌うよ 「君よ、どうかご無事で」
3.遠く九州、東北の果てでも 海や山が僕らを隔てても 心は一つ その一つの心で お国のために力を尽くそう
4.千島列島の奥も沖縄も この日本の護りの要(かなめ) 日本のどこにいようとも 兄弟よ、勇気を持って力を尽くせ 無事であれ
「国の為」や「八洲の内の護り」など、戦後生まれの私たちには、いささか違和感のあるフレーズもありますが、友達を大切に思う気持ちは十分に伝わってくる歌詞ですよね。
文部省によって何度も変えられた「蛍の光」の歌詞(3番と4番)
4番の歌詞は、領土拡張により文部省の手によって何度か改変されている。
- 千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 守りなり(明治初期の案)
- 千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 守りなり(千島樺太交換条約・琉球処分による領土確定を受けて)
- 千島の奥も 台湾も 八洲の内の 守りなり(日清戦争による台湾割譲)
- 台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 守りなり(日露戦争後)(引用元:wikipedia:蛍の光)
3番についても、当初は「わかるゝみちは かはるとも かはらぬこころ ゆきかよひ」という歌詞だったようですが、これが「男女の間で交わされる言葉である」という指摘が出て、「うみやまとほく へだつとも そのまごゝろは へだてなく」に変えられたそうです。
八洲(八島)の意味とは?
「蛍の光」の歌詞に出てくる「八洲(やしま)」という言葉は、一般的には、日本列島を指すとされていますが、実はこれには深い意味があります。
4番の歌詞が歌われていた当時、日本は今よりさらに多くの小島を含む広い領土を持っていました。「八洲」は現代の日本列島だけでなく、当時の日本が持っていた多数の小島も含めた総称として使われていたのです。
このような背景を知らないと、歌詞の一部が単なる地名として受け取られがちです。しかし、実際にはそれ以上の意味や歴史的背景があります。
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掛詞(かけことば)とは?歌詞に隠された二重の意味
「蛍の光」の歌詞には「掛詞」という技法が用いられています。
掛詞とは、一つの語に二つの意味を持たせる技法で、和歌や俳句などでもよく用いられます。
「いつしか年も すぎの戸を あけてぞ」という部分には、「すぎ」が掛詞になり、「(年も)過ぎ」と「杉(の戸を)」という二つの意味で使われています。
また「あける」も掛詞で「(夜が)明ける」と「(戸を)開ける」二つの意味で使われていますね。「(年が)明ける」という説もあります。
ちなみに和歌や俳句の世界における「杉の戸」とは、貧しい我が家を表しています。
「蛍の光」は、中国の故事、時代による変遷、そして言葉遊びの技法まで、多くの要素が組み合わさり、非常に興味深い曲です。
蛍の光が卒業式で歌われ続けてきた理由~別れと旅立ちの象徴
「蛍の光」は、別れと新たな旅立ち、そして変わらぬ友情をテーマにしています。
そのノスタルジックなメロディと、離れ離れになっていく友を思いやる歌詞が、卒業という人生の大きな節目にふさわしいとされてきました。
卒業式は新たなステージへの「旅立ち」であり「別れ」でもあるため、この曲が選ばれるのは自然な流れと言えます。
日本では、この曲が長い間、学校教育で歌われ、多くの人々がこの曲に特別な思いを持っていますよね。
ただし、最近はJポップを歌うことが多いようで、レミオロメンの「3月9日」や森山直太朗さんの「さくら」、ゆずの「栄光の架橋」などが新しい定番曲になっているようです。
「蛍の光」は、別れ別れになっていく友を思う素晴らしい曲ですが、貧しい暮らしの中で勉学に励むことを美徳としていることや、明治時代の言葉の多用など、今の子どもたちの心には響きにくい曲であることは否めません。
「蛍の光」にまつわるQ&A
Q1:「蛍の光」はなぜ大晦日に歌うのか?
これはもう、年末の習慣として定着していますね。紅白歌合戦の最後といえば、蛍の光です。
大晦日は一年の終わりの日であり、「蛍の光」の歌詞が持つ「別れや新しい門出」のテーマが、一年の締めくくりにふさわしいとされているのでしょう。
Q2:海外では年末ではなく新年に歌う理由は?
とくに英語圏で「(日本でいうところの)蛍の光」が新年に歌われる理由は、英語圏の国で歌われる歌詞がスコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン」であり、その内容は「旧友とお酒を飲んで楽しむ」というものだからです。
「オールド・ラング・サイン」は「お祝い」の歌であり、終わりや別れの要素は一切ありません。
Q3:「蛍の光」はどのような場面で歌われるのが一般的か?
「蛍の光」は多くの場面で歌われてきましたが、特に卒業式や送別会、そして大晦日などの「別れ」や「新たな門出」を迎える場面でよく歌われてきました。
また、一部の店舗では閉店時間の直前に流れることもあり、その場面場面での意味合いが少しずつ異なります。
「蛍の光」の歌詞の意味、すべてを理解して、感動を深めよう!
この記事を通じて、「蛍の光」の歌詞の意味や歴史的な背景を多角的に理解することができたでしょう。これらを知ることで、ただ歌うだけでなく、その背後にあるストーリーや文化の重みを感じながら歌うことができます。
特に、「蛍の光」がどのようにして日本に伝わったのか、歌詞が時代とともにどう変わっていったのかといった背景知識は、歌の一層の理解につながります。
この知識を持つことで、この曲を耳にするさまざまな場面で、曲が持つ深い意味や感動を共有できるでしょう。
ぜひ、今回学んだことを活かして、「蛍の光」を新たな視点で楽しんでくださいね。