「この恐ろしい怪談を聞いた者は、恐怖で三日と経たずに死んでしまう」という都市伝説があります。
その怪談が「牛の首」。
しかし、実はこの「牛の首」には多くの逸話が存在し、その真相は謎に包まれています。
「牛の首」は本当に存在する怪談なのか、それとも都市伝説が生んだ幻なのか。
本記事では、「牛の首」の各逸話を詳しく紹介していきます。
また、この都市伝説がどのように広まったのか、著名な文学作品との関係性も紐解いていきます。
恐ろしいだけではなく、興味深い多面性を持つ「牛の首」について、ぜひこの機会に知識を深めてみてください。
最後に、AI(Bing)が作った短編小説「牛の首」を載せておきます。
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「牛の首」都市伝説のあらすじとは?各逸話を解説【ネタバレ】
都市伝説として有名な「牛の首」。
この言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。しかし、その内容や由来は謎に包まれています。
この記事では、ネットを中心にささやかれる「牛の首」に関する主な逸話を解説します。
巷にはびこる都市伝説の「牛の首」とは?
「牛の首」の概要
- 「牛の首」は極めて恐ろしい怪談で、聞いた者は三日以内に死ぬとされる。
- 作者は多くの犠牲者を出したことを悔い、仏門に入り、この話は二度としなかった。
- 実際には「牛の首」という怪談は存在しないと思われるが、その実体のない恐ろしさだけが語り継がれる。
「牛の首」は、世にも恐ろしい怪談とされています。この怪談を聞いた者は、恐怖で三日と経たずに死んでしまうと言われていますが、実際の怪談の内容はこの世の誰も知らず、ただ「牛の首」という名前と「恐ろしい話である」ということだけが伝わっているようです。
不気味な響きがある「牛の首」という言葉。この都市伝説にはネットを中心にいくつかの逸話が存在します。
「牛の首」にまつわる説①怪談自体、存在しない説(小松左京作「牛の首」より)【ネタバレ】
小松左京の「牛の首」が発表されたのは、1965年なので、インターネットで広まったわけではありませんが、先ほど説明した都市伝説の「牛の首」に一番近い内容です。
この説によれば、「牛の首」はもともと存在しない架空の怪談ですが、しっかりとオチがあり小咄(こばなし)になっています。
小松左京氏本人によると、これは彼の完全なオリジナル作品ではなく、もともと出版業界にあったジョーク(ネタ)だったようです
しかし、掴みどころのない恐怖だけが、好奇心によって広まっていく様がうまく描かれていますね。
この作品は、筒井康隆氏が1973年に『夕刊フジ』で紹介して以後、さらに多くの人が知るようになりました。
超常現象研究家の並木伸一郎氏は「怖いもの見たさの好奇心が生み出した、幻の都市伝説」と自著「最強の都市伝説」の中で述べています。
小松左京「牛の首」のあらすじ(ネタバレ)
友人たちから「牛の首」という怪談は非常に恐ろしいと聞かされる筆者(私)。
友人たちはその内容について話そうとしないばかりか、筆者が話を聞き出そうとすると逃げるようになる。「思い出すのも苦痛だ」とのことです。
そんな中筆者は、「牛の首」の話は、ミステリーの大家であるO先生が中央アジアのサマルカンドで仕入れてきた話だと知る。
喜んだ筆者は早速O先生とアポイントを取ったが、O先生は約束を破って海外に出かけてしまい話を聞くことは叶わない。
筆者がここで気づいたポイントは、実はこの「牛の首」という話は、内容を知る者が誰もいないということ。
「牛の首」という名前と「非常に恐ろしい話である」という評判だけが知られている。
結局、誰もが「聞いたことがない」から、当然その内容を語ることはできない。
そういえば、みな口を揃えて「こんな恐ろしい話は聞いたことがない」と言っていた。
筆者自身も、後にテレビディレクターにこの話について尋ねられた際、同じように「知っているとも、こんな恐ろしい話は聞いたことがない」と答えた。
この話の真骨頂は、実際には内容が不明であるにもかかわらず、その恐ろしさだけが独り歩きして人々に広まっているという点です。
つまり、小松左京の「牛の首」は未知の恐怖を掻き立てる「洒落の利いた小咄」なのです。
小松左京の作品の中には、牛の首を持つ少女が登場する「くだんのはは」も!【ネタバレ】
小松左京「くだんのはは」のあらすじ(ネタバレ)
昭和20年(1945年)、中学生の良夫は父親と共に住んでいた芦屋の家が空襲で焼けてしまい、疎開先を探していました。
そこに家政婦だったお咲が現れ、彼女が勤めている屋敷を勧めます。
ところが父親は、一人で不倫相手の所に行ってしまいました。
屋敷での生活は豊かでしたが、住人は姿を見せない病気の女の子、その母親の「おばさん」、そして家政婦のお咲と良夫のみ。
良夫は違和感を覚えつつも、それ以上の追求はしませんでした。
屋敷で良夫は、時折不可解な出来事を目撃し、「日本の敗戦」や「広島の原爆」などおばさんの不吉な「予言」を聞きます。
ついに8月15日の終戦の日、おばさんの予言が的中したことを知り取り乱した良夫は屋敷の奥の間で、赤い振袖を着た牛頭の女の子を発見します。
この子は家の守り神であり、同時に「先祖代々の業(劫)」でもあると、おばさんは語りました。
そして22年後の昭和42(1967)年、社会が再び不穏な空気に包まれる中、良夫は屋敷での出来事を回想します。
その頃良夫には娘が生まれましたが、その娘の頭には、かつて見た牛頭の女の子と同じ角がありました。
おばさんに「この子の存在を他言すると、あなたに災いが降りかかる」と言われ、それを守ったにも関わらず……。
「牛の首」の話は、ミステリーの大家であるO先生が中央アジアのサマルカンドで仕入れてきた話なので、日本を舞台にしている「くだんのはは」とはリンクしていませんが、どちらも「牛の首」にまつわる不気味な話なのは同じですね。
くだん(件)とは?
くだん(件)は、日本の伝説や神話に登場する妖怪の一種です。この妖怪は、牛に人間の顔がついているという特異な姿が特徴です。
くだんは通常、未来の出来事や災害を予言するとされ、その予言が当たった後に、死んでしまうと言われています。
また、くだんが現れると、それは災害の前兆であるとされています。
ちなみに、くだん自身が話す形式で予言を行い、その予言は必ず当たるとされています。
「牛の首」にまつわる説②実在する怪談が都市伝説に変わった説(石角春洋作「牛の首」より)【ネタバレ】
聞くと三日以内に死ぬとされる怪談は、大正15(1926)年に刊行された『文藝市場』に掲載された「牛の首」という小説だともされています。
作者は日本のルポルタージュ作家の石角春洋(石角春之助)(1890年~1939年)で、問題の怪談は彼が父親から聞いた話として執筆しています。
つまり、実話もしくは、実話設定の怪談になります。
石角春洋「牛の首」のあらすじ(ネタバレ)
この物語は冬の山間の村で起こります。五作という名の男性は、一人娘のお花が危篤状態になったため、3里(約12km)離れた町に住む医者のところまで薬をもらいに出かけます。
帰途で雪が激しく降り、彼は何度もつまづきながらも急ぎます。すると真っ白な雪の中に突如として黒い塊が現れ、それが牛の頭に変わりました。
そしてこの牛の頭は、次第にお花が大事にしていた鏡台になり、そこに髪をとくお花の姿が映ります。
その鏡の中のお花の白い顔には黒い斑点が見え、そしてその斑点は血になって滴り落ちていきます。
五作は恐怖のあまり、夜明けまでそこで目を閉じていました。朝になり家に戻るとお花はすでに亡くなっていました。
この話は現実と超自然が交錯する不思議で緊迫感のある内容となっています。
とくに五作の心情や状況が詳細に描かれており、鬼気迫る緊迫感と不安が高まる構造になっています。
お花の死と五作の遭遇する超自然的な出来事がどう関連しているのか明確には語られていないところが、さらに物語を不気味にしています。
意味不明な怪談は逆に怖いですよね。
「牛の首」にまつわる説②インターネットの大手掲示板に投稿された話より
主に2つの話があります。
どちらも2002年以降、インターネット掲示板に登場しました。
①小学校の教師が遠足のバス内で子供たちに話した怪談
小学校の教師が遠足のバスの中で「牛の首」という名の怪談を語り始めると、子供たちはパニックになり極度に怯えました。
教師が話続けていると、バスが急停止します。運転手も脂汗を流しながら震え、生徒たちは全員失神してしまいます。
この出来事以後、その教師は「牛の首」について話すことはありませんでした。
②天保の飢饉にあった話「牛の村」
明治初期、廃藩置県が行われた後、全国で検地と人口調査が始まりました。目的は税制を整えることと、常備軍を構築するためでした。
この調査の途中で、東北地方のある廃村で大量の人骨と牛の骨が発見されました。この不可解な発見の後、調査役人は隣の南村へと向かいました。
南村でも調査を終えた後、宿で一夜を過ごした役人は、その廃村と骨についての疑問を宿の主人にぶつけました。
主人は1835年前後の天保の大飢饉時に、「牛の頭」をした異形の存在がこの南村に出現し隣村に連れ去られたという伝説を語りました。
そのとき、隣村の村人たちは口々に「牛追いの祭りだ、他言無用だ」と叫んでいたそうです。
役人は役所に戻り、この話を先輩にしました。先輩は、飢饉によって家族がお互いを食べる例すらあったと説明し、廃村で見つかった骨はそれによるものではないかと言いました。
最終的に、この悲劇は記録に残さず、ただの「廃村」として報告するべきだと先輩はアドバイスしてくれました。
その後、日露戦争が激化した頃、この出来事を、病床についていたその役人が孫たちに語りました。
その孫の一人が話者ということになります。
飢饉という極限状況が人々をどれほど非人道的な行動に追い込むかという、この「牛の村」の話はその一例として語り継がれています。
隣村に連れ去られた「牛の頭」をした人物は、「牛追いの祭り」と称して狩られた犠牲者でした。
人が人を食べるという罪悪感を消すために「牛追いの祭り」と称して、犠牲者に牛の頭の皮をかぶせていたのです。
遠足の話は、小松左京のショートショートと同様に、怪談の内容が不明なパターンです。
AI(Bing)にも短編小説「牛の首」を書いてもらいました!
夏休みの最後の日、僕は友達のヒロシとキャンプに行った。
ヒロシは僕の幼なじみで、いつも一緒に遊んでいた。
キャンプ場は近くの山にある小さな池のほとりだった。
僕たちはテントを張って、火を起こして、マシュマロを焼いた。夜になると、星がきれいに見えた。
「ねえ、怖い話しようよ」とヒロシが言った。
「いいよ。君から始めて」と僕が言った。
「じゃあ、聞いてくれ。これは本当にあった話だよ」とヒロシが言った。
「本当にあった話?」
「うん。この山には昔、牛を飼っている農家があったんだ。その農家の主人はとても貧しくて、牛を大切にしていた。でもある日、牛が病気になって死んでしまったんだ。主人は悲しみのあまり、牛の首を切り落として、自分の部屋に持ち込んだ。そして毎日、牛の首に話しかけて、なでて、泣いていた」
「それは変な話だね」
「まだ終わってないよ。そのうち、主人は牛の首と一緒に暮らすことに慣れてしまった。牛の首も主人に応えるようになったんだ。目で見つめて、耳で聞いて、鼻で匂って、口で舐めて……」
「えっ、本当に?」
「本当だよ。でもそれは主人が気が狂っているせいだったんだ。実は牛の首は腐って臭くなって、虫やネズミに食われて、骨と皮だけになっていたんだ。でも主人はそれに気づかなかった。牛の首が生きていると信じていた」
「それは気持ち悪いね」
「そうだね。でももっと怖いことが起こったんだ。ある晩、主人が寝ていると、牛の首が動き出したんだ。首だけで歩き回って、主人の顔を見つめて、舌で舐めて……」
「うわぁ、やめてよ」
「そして牛の首は主人の耳元でささやいたんだ」
「何て言ったの?」
「『お前も一緒に死ね』って」
「キャー!」
僕は叫んで飛び起きた。ヒロシも笑って飛び起きた。
「怖かった?」
「怖かったよ。君、どこでそんな話を聞いたの?」
「実はさ……」
ヒロシはテントの外を指さした。
「この池の向こうにある古びた家がさ……」
僕は目を凝らして見た。
「あれが……牛の首の家?」
そう言って僕は気づいた。
その家からは何かがこちらに向かって歩いてくる音が聞こえてきた。
それはカタカタカタカタ……(おしまい)
「牛の首」の話をきいてしまったあなた!3日後はどうなる?!
「牛の首」について解説しましたが、この怪談や都市伝説は多くの説が存在し、一概に真偽を判断するのは難しいです。
この謎多き話は、時間とともにさまざまな形で語り継がれ、今や多面性を持つ存在となっています。
文学作品との関連もあり、単なる怪談以上の深みを感じられるでしょう。
さらに、この記事でAI(人工知能)が創作した短編小説「牛の首」もご紹介しました。
都市伝説としての「牛の首」、文学作品としての「牛の首」、そしてAIが生み出した「牛の首」。
それぞれが持つ恐怖と興味深さはどれも違い、それぞれに独自の魅力があります。
この機会に「牛の首」の多面性を楽しんでいただければと思います。
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